カセンジキー☆blog

家でスマホ?ノーノーノ!やっぱり外へ行くべきだ。

河川敷に「ある」もの

先日は河川敷に「ない」ものをつらつら書きましたが、今日は河川敷に「ある」もの。f:id:kasenjikey:20230609144506j:image
当然ながら、川があります。目の前に流れている川の水は、雨水が森林や大地を通り抜け、街をくねくね蛇行して、私たちを潤し、大海へ流れています。今は上水と下水が完全にシステム化されて、川と家庭の接点が地下に潜って見えにくい。特に都市部は水脈が地下にある。結果的に水に触れることは少なくなり、水の流れやありがたさは、人の無意識の領域に隠れてしまっている。蛇口をひねり容易に水を得ていますが、それがどれだけありがたいことか。河川敷を走ると、そのありがたみを感じます。

蛇行する川には蛇行の理由あり 急げばいいってもんじゃないよと俵万智


歴史に目を向ければ、日本でも数十年前までは水の奪い合いで争いをしていた。世界に目を向ければ、水不足に苦しむ人々がたくさんいる。そう考えると、今この時代は本当にありがたい。先人達が「水と人の共存」を進め、現代は共存できている。今ある河川敷も、洪水と共に歩んだ歴史。その基礎の上に、その歴史の上に今の我々の生活がある。この生活を、ただ享受するだけでなく、決して急がずに、工夫して発展させ、継続させないといけないですね。

川幅の倍ほど広い河川敷 ミライを守る想い溢れてkasenjikey)f:id:kasenjikey:20230609161526j:image

水がある。そこに川が流れて河川敷がある。光が射して風が吹く。四季は移ろう。影や暗闇もある。鳥は飛び、川の中には生き物がいる。そしてそこを歩く人々。パワースポットでも何でもないけれど、そこには自然と人の営みがある。河川敷でそんな当たり前を体感し、当たり前を直視すると、背景が見え、自然への畏怖を感じます。そんな中学生の作文のようなことを考えながら、蛇行しつつゆっくりと河川敷を走りました。

家の方がテレビにゲーム、何でもある。でも家でスマホ⁈ノーノーノー。やっぱり外にでるべきだ。